東派旧播磨三道場の一つ 砥堀道場

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●歴代住職について

わかっていること
1442年(嘉吉二年酉年六月)に開基、僧明法師により開基
(神東郡の記録に年代記録あり)
1500年始め頃に、英賀本徳寺より、実如上人の裏書き(鑑定済み)のある阿弥陀如来の絵像を受けていること
開基は、釋常心とされている。(『船場本徳寺縁起』より)
1787年 経鐘に刻まれた文字有り。前住職が釋正林であり、現住職が釋慧正、現坊守が釋尼妙空とある」
07世 1700年代は、釋正林が住職であった。
08世 1700年末頃 釋慧正が住職であり、釋尼妙空が坊守であった。
09世 1802年 釋正順が住職であったであろうと推測される。(名入り木箱見つかる)
10世 真行寺第十世 釋明照 と記された板が見つかる。(1846年の板)
11世 齊明寺廓然が住職であると記された板がみつかる。(1875年の板)
明治5年8月30日に、林田町六九谷の菅原家より、59歳の齋明寺廓然(さいみょうじかくねん)が入寺する。(この頃、六九谷に真宗教学を学ぶ寺小屋が有った)
当院はこの時、門徒0であったという。当時の船場本徳寺の執事であった武田一三(船場本徳寺に明治天皇が来られた時に、お迎えの一人として加わっていたことが記された記録が船場本徳寺に残されている)の長男である武田龍弥が、齋明寺廓念の遺言で、武田姓をもち当寺に入寺、後継することとなる。(武田淳一作『真行寺沿革』より)
12世 武田龍弥(曾祖父)(1925年の板、寺院修復の時の記録)がある。
明治16年4月22日継職。
釋淳心は、祖父の兄であるが、20代でなくなった。(和辻哲郎氏と同級生で、和辻氏の文書に淳心氏のことも記されている)
13世 釋淳一(祖父)大阪府で小学校の教員をしていた。その間、当院は役僧の方に守っていただいていた。退職後姫路に戻り、僧侶として活躍した。
14世 釋淳信(父)高等学校の教員を勤めながら、法務を手伝っていた。
15世 釋典晃(私)

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