東派旧播磨三道場の一つ 砥堀道場

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●真行寺の歴史年表

2017年4月29日、30日の「宗祖親鸞聖人七百五十回会大法要」を機に、年表を制作してみました。

真宗大谷派 有明山真行寺のあゆみ

1441年6月(嘉吉2年・室町時代)
神東郡・神西郡で最初の浄土真宗の道場として草創される。

1500年頃(室町時代)
本願寺の教線が播磨に拡大されると、英賀東の本徳寺門徒として、本願寺の實如上人(本願寺第九世)より「阿弥陀如来御絵像」を下付される。

1602年(慶長7年・江戸時代)
本願寺の東西分派の時、亀山御坊は、顕妙尼(本願寺第十世証如上人の娘)に従い、当院も東派に属することとなる。

1609年(慶長14年)
教如上人と姫路城主池田輝政との確執により、亀山御坊は西派に転派となる。それにともない、当院も西派となる。

1618年(元和4年)
城主が本多忠政になり、東派真宗が許可され、船場御坊が建てられる。
当院は東派に復帰し、「播磨の三道場」のひとつ「砥堀道場」として活躍した。中興一世は、砥堀常心。(※三道場=佐土・津市場・砥堀)

1700年頃(江戸時代中期)
河間の「正覚寺下播州神東郡砥堀邑真行寺」として、道場から寺院へと発展する。この頃、昭和の終わりまで続く以前の堂宇が建立される。

1984年(昭和59年)
昭和の大工事として、現在の本堂・庫裏が新築され、宗祖親鸞聖人七百回御遠忌法要が厳修される。

2017年(平成29年)
宗祖親鸞聖人七百五十回会大法要が、ご門徒の力により厳修される。

真行寺第十五世釋典晃これを記す

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