東派旧播磨三道場の一つ 砥堀道場

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宗教絵画

浄土教を中心とする宗教画を紹介します。

ー もくじ ー

01 二河白道図(にがびゃくどうず

02 植髪御影(うえがみのごえい)

03 善導大師と法然上人

04 護持念仏行者図

05 百重千重囲繞之図


06 熊谷、法然来迎図


07 高祖見真大師御旧跡要図

08 稲田西念寺親鸞恵心尼伝

09 二河喩曼荼羅

10 念仏行者護念之図

11 釈迦牟尼世尊一代絵伝

12 三国伝来之図

13 見真大師一代記

14 五趣生死輪転図


15 大無量寿経曼荼羅


16 阿弥陀経曼荼羅

17 選択集十六章之図

18 浄土五祖図


19 當麻曼荼羅(黒谷版

20 無量寿経厭苦五悪図画

21 蓮如絵伝一部(まくり)

22 宗祖大師六百五十年御遠忌庭儀式図


23 証課増進之図


■■■二河白道図(にがびゃくどうず)■■■


二河白道図
この絵は、善導大師の二河譬を絵画化したもので、娑婆で暮らす凡夫に、善知識が、浄土を目指して歩むことを勧め(釈迦の発遣)られ、その勧められた行者は、欲と怒りの水の河、火の河の間の四、五寸(10センチほど)の細い白い道を歩み出す。
すると、悪獣や毒虫が後ろから迫ってきて、他宗派の僧侶が呼び戻そうとする。
それを振り切り歩み出すと、岸の向こうから、こちらに来いと声が聞こえる(阿弥陀の招喚)。

人が宗教に触れ、教えを歩もうとすると、「大丈夫か?」と旧友たちに心配される。悪い宗教にでもだまされているのでないかと。そのうち、先輩方が、大丈夫だから、こっちにこいと声をかけてくれる。まあ、そんな感じだろうと思います。

この絵はおそらく明治時代の版画で、人気のあった絵柄なのだろうと思います。ネット上では何度も見かけましたが、着色は、それぞれ異なっていて、購入された方が着色されたのか、着色専門の絵師があちこちにいたのか、そのへんはわかりません。

上のこの絵も、もっと単純化された絵ですが、あきらかに他宗派の僧侶の姿が描き混まれています。

この絵は、2017年にお亡くなりになられた画家の佐藤勝彦氏による絵で、2016年に描かれたものを縁あって、ご寄贈いただきました。
佐藤先生の特徴的なところとしては、お浄土は金色で描かれているのですが、そこに富士山が描かれていたり、河の色は、赤と青ですが、その波に銀色が使われています。娑婆の世界には、先生の絵にいつも出てくる独特な鬼が描かれているところです。
もう一つ特徴的なところは、行者の歩む白い道が細すぎて、ほとんど描かれていないところなのではないかと思います。
佐藤先生御自身の宗教体験によるものだろうと受け止めております。
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■■■植髪御影(うえがみのごえい)■■■


おそらく、親鸞聖人が粟田口の青蓮院(京都知恩院の近く)で得度のおり、剃髪した髪を植えた人形の絵像であろうと思われます。これは、オークションで時おり出品されているのをみかけますが、どれも着色が異なっているために、おそらく版画に各自で着色したものではなかろうかと思われます。
この御影はオークションで入手した時は、クシャクシャの状態でしたが、現在は額表装にして飾らして頂いております。
明治時代ぐらいのものでないかと思われます。植髪御影関連記事

■■■善導大師と法然上人■■■

善導大師、法然上人二尊像(桃山時代ぐらいのものであろうと思われます)
この絵は、法然上人と善導大師が夢の中で対面したということが親鸞聖人の著作『西方指南抄』に記載されていますが、そのシーンを再現したものであろうと思われます。
そのもの語りとは、法然上人の夢の話で、夢の中で法然上人の前に黒い衣を着て、下半身が金色に輝く方が表れて、法然という者を探しているのだと話されたと。念仏の教えを正しく伝えてくれる方だと聞いて、尋ねてきたのだと。
その方に法然は、名乗り、あなた様はどなたでしょうか、と尋ねたら、善導であると名のられたとか。
そのお話においては、どちらも立っておられて対面されていることになっております。ただ、この絵は、両師ともに座しておられて、少し浄土宗が伝えている本尊とは異なる絵相となっております。
それと、もう一つ気になる点は、善導大師の襟の部分です。ヒラヒラになっています。
なぜ気になるかというと、確か善導大師のおられた時代に、お隣の村まで景教(キリスト教のネストリウス派)が伝わっていたのだとか。そして、 浄土教、特に善導大師の経典の読まれ方は、キリスト教とよく似ている部分があり、気になっていました。
もしかしたら、その接点を知っている方が何かを伝えようとしてこの絵を描かれたのかと。

そんなことを思っていると、後日大きな寺院の本堂用のサイズの全くおなじ絵相の善導大師像をネットでみかけました。同じ襟をつけて、座しておられます。
そこから考えられるのは、この時代、桃山時代のころには、今の浄土宗とは違う一宗派があったのではないのか。ところが、後にその宗派が途絶え、この絵が残されたのではなかろうかと、そう思うようになりました。
浄土宗の方に尋ねても、真宗の先生に尋ねても、この絵は、未研究の分野で解答を得られません。
もしかしたら、隠れ念仏ではなくて、「隠し念仏」を伝える御脇掛けだったのでなかろうかと推測しています。
どなたか、ご存知の方、ぜひ、ご教授くださいませ。

 

 


■■■護持念仏行者図■■■

当村の御門徒宅に伝わるお軸をお譲り頂き、修復しました。
「獅谷白蓮社写歓阿印施妙定院蔵版」と記されていることから推測すると、関東にある「妙定院」から版木を借りてきて、京都の鹿ヶ谷の白蓮社が出版したものであろうと思われます。同じ名の同じ図柄をヤフオクで見かけたことがあります。
ただ、着色は、それぞれによって異なっているみたいです。
この図も、三尊と行者以外は着色されないままとなっております。
上段の文字は、『仏説無量寿経』の言葉で、「天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 国豊民安 兵牙無用 崇徳興仁 務修礼譲」(仏の赴くところ、 世の中は平和で穏やかになり 日爽やかに 月清く澄み 風時に吹き 雨時に降り 天災疫病 起こらず 国土は豊か 人々は安らか 兵や兵器を用いることも戦争が起こる事もない 人々は他人の良いところ 徳を尊び 友情をふるい起こし 思いやり つとめて礼節や譲り合いの道に力を尽くす )とある。

この絵で問題なヵ所は、念仏行者には阿弥陀の光が指しているが、「住吉」とか「熊野」だとか、具体的な神社の神様には光がさしていないという点です。専修念仏の特徴である、「阿弥陀一仏をたのむ」ということだけが救われると、一向宗と他宗派から批判された理由でもありましょう。

念仏の行者のみに光が届いている

阿弥陀仏と観音菩薩、勢至菩薩

 

 

 

上段の大経の文字

下段の制作者を表す文字

 


■■■百重千重囲繞之図■■■

形式的な葬儀や仏壇を重んじる仏教のあり方を廃し、ひたすら念仏に生きる人生を説き、悩み迷う人々をひきつけた一在家仏教者がいました。明治の終わり頃に起こった特異な仏教運動、「小川宗」の創始者・小川独笑である。彼の文章を掲載したお軸である。一般市民や文学者等が念仏する僧侶達に囲まれている絵で、「南無阿弥陀仏を称うれば、十方無量の諸仏は、百重千重囲繞して、よろこびまもりたもうなり」という親鸞の和讃を絵画化したもので、版彩色の作品ではあるが、明治三十七年一月に、本人の名前の後に、落款が押されたものであります。

 

 

 

 

■■■熊谷、法然来迎図■■■

 浄土宗の来迎図で一般的なものの上部に、僧侶と武将が描かれている珍しい絵相です。
おそらく、左の方は衣の形から法然上人であろうと。そうすると、武将姿は、熊谷直実ではなかろうかと思われます。
法然上人の説かれた念仏の教えに導かれお浄土へと還った熊谷直実が、今度は、諸仏菩薩達と共に来迎に加わっている絵相ではないかと思います。詳しくいことはわかりませんが、かなり古いであろうと思われます。
他に見たことがありません。ご存知の方、何か情報を教えて下さい。

 

 

 

 

■■■高祖見真大師御旧跡要図■■■

この絵は、当村の御門徒が所蔵されていたのですが、お軸がかなり傷んでいたものを譲り受けました。それを表具し直したのですが、ある時、姫路の船場御坊で絵解きのご法話をさせていただいていたら、法話の後、参詣者の方から質問があり、よく聞いていると、どうやらこのお軸の話をされているようでした。描かれた絵の数が少し異なっていたので、当院のは四十五図であるとことを伝えたら、後日、☎がかかってきて、どうやら、同じものであることがわかったのです。
あまりにも偶然過ぎて驚いたのですが、推測するに、その昔、まあ、およそ百年ほど前のことでしょうか、船場本徳寺というか、山陽教区からからの門徒研修旅行に参加されて、一緒に行って購入されたものか、もしくは、本徳寺に販売に来られたものを購入されたのでないかなあと考えております。
この絵の絵柄は、親鸞聖人に関わったエピソードのある名所旧跡が45箇所版画に彩色した状態のものを一枚に貼り合わせたものとなっております。
お軸をいただいて、その修復ができて、1カ月ごろの飛び出した質問に、たまたまの不思議を感じました。

 

 

■■■稲田西念寺親鸞恵心尼伝■■■

稲田西念寺に伝わる親鸞聖人の物語です。
恵信尼さんの死や、火葬などを描く、独特なものです。

 

 

 

■■■二河喩曼荼羅■■■

『仏説観無量寿経』に記された内容を絵画化した作品。作者は、「摂州西成郡、上中嶋天王寺庄、花園慶祐」とあり、落款も押されている。
上段に阿弥陀三尊が描かれ、中段には、二河白道を始め、さまざまな経言が絵画化されちりばめられている。そして、下段には、地獄の世界が描かれている。カラフルな作品であるが、明治期に制作されたのでないかと推測している。

 

 

■■■念仏行者護念之図■■■

.

 

 

 

 

北邑桃渓という人が幕末ぐらいに描いたもの。
念仏の現生十種の益の一つ諸仏護念の益を表す図。
 信心の行者は、十方無量の諸仏によって常に護念されている。すなわち、十方の諸仏は阿弥陀仏の本願を証誠し、人々の疑心を破って信心の行者たらしめ、その信心が退転しないように護念し、また、行者がさまざまな悪縁を乗り超えて浄土に向かうよう護り続けたまうことをいう。
 建物の中にいる念仏者に阿弥陀仏の光がさしている図である。


■■■釈迦牟尼世尊一代絵伝■■■

第一 光音天下生じて、林藤を食す。
第二 衆人香稲を収め取る。
第三 衆人、大平等王へ粳米(うるちまい)を貢献す。
第四 浄飯王子、摩耶妃を迎え給う
第五 善慧仙人、蓮華を買い求め、善光如来へ供する宿縁。
第六 兜率天に托生し、法を給う宿縁。
第七 菩薩降神托生し給う。
第八 ルンビニー園において降誕し給う。
第九 阿私陀仙人、太子の好相を占観す。
第十 摩耶聖后、崩御。御姨母、太子を養育す。
第十一 太子、文学習藝。
第十二 太子、死象を擲ち給う。並に、射藝競争。
第十三 角力遊戯。
第十四 悉達多、灌頂太子位に昇り給う。
第十五 太子観農。初めて菩提心を発し、樹下に静座し給う。
第十六 耶輪陀羅妃を納れ給う。
第十七 四門出遊、老病死を見給う。
第十八 其の二 比丘、出家の功徳を説く。
第十九 太子、父王に暇を請い給う。
第二十 太子、耶輪陀羅妃を暁諭し給う。
第二十一 太子、夜半出城。
第二十二 太子入山、車匿悲別。
第二十三 車匿還城。
第二十四 太子、跋伽仙を訪問し給う。
第二十五 王、使跡を追て太子に還城を勧請す。
第二十六 頻婆娑羅王と対談。
第二十七 阿羅邏迦蘭仙人を訪問し給う。
第二十八 尼連禅河の側に静座苦行し給う。
第二十九 善女、乳糜を献す。
第三十 菩薩、雪山に赴き給う途中、種々の霊瑞を現ず。
第三十一 金剛座に座して、諸魔を降伏し給う。
第三十二 正覚を成じ給い、釈迦牟尼仏と号し奉る。
第三十三 観樹思惟梵釋諸天転法輪を勧請す。
第三十四 釈迦、出山商主の供養を受け、三帰五戒を授け給う。
第三十五 優波伽讃歎龍王、三帰を受く。
第三十六 世尊、神通恒河を渡り給う。
第三十七 鹿野苑において、初めて法輪を転じ給い、五人証果三寶具足す。
第三十八 優婆塞起原
第三十九 五十人の長者子、得度証果。
第四十 悪龍降伏三迦葉火教を棄て仏門に帰入す。
第四十一 仏、王舎城に赴き、頻婆娑羅王を度し給い、並に竹園精舎建立。
第四十二 婆羅門教の碩徳阿捨耆比丘を見て、仏門に帰投す。
第四十三 摩訶伽葉、仏門に帰入す。
第四十四 仏、竹園精舎に在して宿縁を説き、衆徒を教誨し給う。
第四十五 須達長者精舎建立の為に黄金を地に布き、祇陀園を買う。
第四十六 舎利弗、外道六師と觕技(そぎ)。
第四十七 祇園精舎建立の縄張する時、六欲天の宮殿出現す。
第四十八 仏、本国に還り、父王に拝謁(はいえつ)並に羅睺羅を証明し給う。
第四十九 難陀出家して家僕たりし優波離を礼す。
第五十 尼衆起原。
第五十一 盂蘭盆並に施餓鬼会の起原。
第五十二 達婆謀悪堕獄。
第五十三 玉耶女を教誨し給う。
第五十四 阿育王、八万四千塔を起るの因縁。
第五十五 仏父、浄飯王臨終。
第五十六 浄飯大王の葬儀。
第五十七 仏、忉利天に昇り、母の為に法を説き給う。
第五十八 優填王、釈尊の形像を造りて供養す。
第五十九 大愛道神変を現じ、五百の尼衆と共に入滅す。
第六十 流離王、カピラ城攻伐し暴悪悲惨。
第六十一 流離王、震死並に、天火宮殿を焼燼(しょうじん)す。
第六十二 釋種破滅する宿縁。
第六十三 純陀最後の供養を為す。
第六十四 仏、遺経を説き給う。
第六十五 教主釈迦牟尼仏、入涅槃。
第六十六 大伽葉尊者、仏の双足を拝瞻(はいせん)す。
第六十七 帝釋仏舎利を収取す。
第六十八 香姓婆羅門仏舎利を分ち與(あた)え、天龍人、互いに供養す。
第六十九 一千の大阿羅漢、漢畢波羅窟に於て、三蔵結集。

 

■■■三国伝来之図■■■

 

 

 

 

 

第初段
大聖釈尊東天竺毘舎離国大林精舎において、月蓋長者のために消伏毒害陀羅尼経を説き給う図
第二段 長者賢貪にして釈尊へ供養いたさざる図
第三段 長者の下女、如来の御帰依、御教化を請う。御法礼に、米の白水を供養の図。
第四段 如来、右、白水を請う。精舎に帰り、諸々の御弟子に、施し給う。水、つきることなし。是によりて、大凡?卒塔婆?、下女の都卒の内院

 

■■■見真大師一代記■■■

 

 

 

 

 

■■■五趣生死輪転図■■■

 

お釈迦様が、インドの王舎城の竹林精舎にいた時、神通力に優れた目連が、地獄・餓鬼・畜生・人・天などの五道を行き来し、それぞれの苦しみを見て、人々にそのありさまを教えていました。
するとお釈迦様は、弟子の阿難に「いつも目連がいるわけではない。それに目連のような能力者はごくまれな者である。だから、僧侶たちに言って、寺の門の下に、生死輪という絵を描かせることにしよう。」と語った。そしてこの絵が描かれたそうです。この絵は、「根本説一切有部毘奈耶 第三十四」という経典を基に描かれているそうです。
五道には「修羅」が入っておらず、後に六道へと変わって行きます。

 

 

 

■■■大無量寿経曼荼羅■■■

「大無量寿経曼荼羅」は、江戸時代初期の狩野派の画人、法眼・高田敬輔(1673~1756)によって制作されたものです。滋賀県の日野に生まれ、狩野派の画風を学び、雪舟の画法も会得した高田派の画祖です。
仏教の信仰心も強く、華厳宗の鳳潭(ほうたん)匝叡(そうえい)、浄土宗の義山上人に学んだといわれています。
無量寿経に忠実に左下から上へ、
1.特留此経、2.出家修道、3.現諸仏土、4、五劫思惟、5、成満大願、6、積功累徳、7.妙土荘厳、
そして右へ、
8.上輩往生、9.中輩往生、10.下輩往生、11.天下泰平、12.布恩施恵
そして下へ
13.三毒(貪・瞋・痴)、14.無常
下段へ
15.殺生、16.偸盗.17.邪淫、18.妄語、19、飲酒、
最下段へ
20.三悪道、21.八大地獄、22.餓鬼畜生、
そして中央部へ、下段より上へ経典の物語が展開し、
23.諸根悦豫、24.舞楽会、25.宝池会・集会講堂、26.三尊会、27.虚空荘厳
と、大無量寿経の世界が描かれている。
先人の布教のための苦労が偲ばれます。

 

 

■■■阿弥陀経曼荼羅■■■

 

 

 

 

 

■■■選択集十六章之図■■■

近江の蒲生月野の高田敬輔氏が正徳四年(1714)に描いて、この図を刊行したことが知られる。そして刊行の直前、華頂山公(浄土宗知恩院の門跡)に観閲してもらいお誉めの言葉を賜ったので刊行したそうである。

(1)捨聖道帰浄土章(上段右)
(2)捨雑行帰正行章(上段左)
(3)唯念仏往生本願章(第二段左)
(4) 三輩念仏往生章(第二段中央)
(5)念仏現当利益章(第二段右)
(6)末法之後特留念仏章(第三段右)
(7)弥陀光明唯摂念仏行者章(上段中央)
(8)念仏行者必具三心章(第三段左)
(9)念仏行者行用四修法章(第四段左)
(10)来迎化仏唯讃念仏章(第四段中央)
(11)約対雑善讃歎念仏章(第四段右)
(12)唯以念仏付属阿難章(第五段右)
(13)念仏多善雑善小善章(第五段中央)
(14)六方諸仏証誠念仏章(第五段左)
(15)六方諸仏護念念仏行者章(第六段中央)
(16)弥陀名号付属舎利弗章(第七段右)

 

 

 

■■■浄土五祖図■■■

 

 


■■■
當麻曼荼羅(黒谷版)■■■

 

 

 

 

 

■■■無量寿経厭苦五悪図画■■■

 

 

 

 


■■■蓮如絵伝一部(まくり)■■■

蓮如上人御絵伝
蓮如上人の御絵伝は、全国で150ほどあるらしい。しかし、親鸞聖人の御絵伝が本願寺が統一規格で出したようなことはなく、各地域によって重複するもの、異なるものが含まれて、様々であるようです。このまくり(めくれ)も、少し前の時代まで元々はどこかのお寺の宝物であったが、お寺を解散する時に、バラバラにして門徒に分けられたのだそうです。
内容は、主に全国的に重複するようなものと、その地域での出来事。そのお寺の縁起に関わるものが主のようです。

1、左側の絵相は、類例がないため、よくわかりません。
描かれているのは、おそらく蓮如さんが牢獄のような所に幽閉されていて、そこに阿弥陀仏が迎えにきたような絵となっています。
右図は、僧兵に追われて難を逃れる蓮如さんです。おそらく、びわ湖で、北嶺の方に追われて逃げる様子ではないでしょうか。

2、右図は、おそらく竜女が蓮如に土地を寄進する絵だろうと思います。
絵によっては、着物のすそからしっぽがでているものもあります。左の図は、左の図は、竜女の申し出により、竜女の住める分だけ残して、この池を埋め立てて道場を建立するということになり、竜女が池に帰っていく様子ではなかろうかと思われます。

3,左の図は、「蓮如葺き」と言われるもの。蓮如上人が本願寺を追われ、お弟子の道西の所に仮住まいされることになり、慌てて道西が茅を吹き直していたら、蓮如が手伝い始め、下から茅を放りあげ、道西に渡すシーン。絵によっては、蓮如さんが穂を上向きにして渡したり、下向きにして渡したりするのですが、道西が喜びのあまり、そのまま葺いてしまっているものもあります。

 

4,右図は、ワラに巻いた親鸞聖人の御真影を持って難を逃れるようす。左図は、佐々木の如光が、大活躍して、蓮如さんを守ったようす。

5,右図は逃れる蓮如さんか?。左図は、足を怪我した僧侶が描かれている。
そんなエピソードがあったのか、わかりませんが、足を怪我してけんけん出踊ったという踊りが和歌山に伝わっていて、それは雑賀衆の雑賀孫一さんじゃなかったかと思います。もしかすると・・・。しかし、僧侶は蓮如さんですよね。

 

 

■■■宗祖大師六百五十年御遠忌庭儀式図■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■証課増進之図■■■

 

 

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