「自分らしくある必要はない。むしろ人間らしく生きてほしい。」岡本太郎
 今年、お正月から、当院の掲示板に故岡本太郎氏の言葉を掲げています。色々考えさせられる含蓄のある言葉です。一体岡本太郎さんは何がいいたかったのでしょうか?「自分らしく」ということと、「人間らしく」という言葉は、どこか違うのでしょうか。よくよく、自分らしくという事を考えると、自分らしさを出して生きるということで、それは個性的に生きるということなのでしょう。
会社や組織の中で、自分を見失ったり、個性が表現できなかったりと、そういう社会状況の中で、自分らしさを取り戻そうとする風潮は、現在も大いに皆が憧れるべきことになっているのだろうと思います。
それでは、「人間らしく」ということは、どうなのでしょうか。人間らしくというと、自分らしいということとどう違うのか。それは、人らしくではなくて、人間らしくというあたりにヒントがあるのだろうと思われます。
人は、生物としての種でありますが、人間は、関係性を生きることを表すのでしょう。人と人との関係の中に存在をきちんと生きてほしい。つまり、他人とつながっていることを忘れないでほしい。過去の人達、未来の人達とつながっていることを忘れないでほしい。そういう関係を生きてほしい、ということなのではないでしょうか。
岡本太郎氏というと、「芸術は爆発だ」というCMだとか、昔あった大阪万博の時の「太陽の塔」を作った方として、ご存知のない方はおられないでしょう。2003年にメキシコの資材置き場で発見された岡本太郎の壁画は『明日の神話』とよばれますが、現在修復を終えて、渋谷駅に展示されています。この絵は1968年頃にメキシコで制作されたものですが、モチーフは1954年、米国の水爆実験により日本のマグロ漁船が被爆した「第五福竜丸事件」だといわれています。それと同じように、万博における太陽の塔のモチーフは原爆であり、あの金色に光る顔の部分は火の玉を表しているのだそうです。
これから、大阪で行われようとしている万博は、おそらく経済の活性化のためのものであるのでしょう。海を埋め立てて、カジノを作ったり、リニアをつけたりと、そういうことがメインになってしまうのでしょう。岡本太郎氏は、世界の科学技術の競争の場に置いて、逆に世界に、被爆国であることの悲惨さや科学中心主義に対する問題を訴えようとしたのではないでしょうか。
人間らしく、つまり、戦争で犠牲になった方々との繋がりを忘れることなく、また、次の世代の人達にどう生きていくべきかをどのように伝えることができるのか、そういう中で太陽の塔が作られ、それに託し、また「人間らしく生きてほしい」という言葉が生まれたのではないでしょうか。
人間らしく生きてほしい。つながりを忘れないでほしい。過去の歴史のことを忘れないでほしい。多くの方々の出会ってきた悲しみを忘れないでほしい。そういった悲しみから生まれた願いを「悲願」とよび、仏教においては「本願」とよぶのでしょう。

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